産報新書006 秋葉原日記 第四集 -SANPO WEB連載コラム集-
価格: 1,257 円 (本体価格:1,143円)
馬場 信
新書判 /
270頁
ISBN978-4-88318-705-8
本書は産報出版WEBサイト「SANPO WEB」のコラム「秋葉原日記」を集めたもの。秋葉原の風景はもとより、時には溶接業界の出来事や社会時評、読書、旅行などで構成し、豊富で充実したコラム集となっている。また、必ず添えられている写真とともに分かり易く読みやすく編集されている。人気コラム集第4弾(2010年6月からの1年分を収録)。
被災地に立つ
昨日岩手県宮古市に来た。
やっとやってきたというのが率直な気持ち。
3.11の後すぐにでも被災地に入りたかったのだが、交通や勤務先など種々の事情があってこれまで自重していた。取材については若手の記者がいち早く現地入りしてレポートしていたし。
それに、野次馬のように興味本位になっては被災者の方々に申し訳ないという懸念もあったし、自分が現地に行こうとするとどうしてもたくさんの人たちのサポートが必要となるし、迷惑をかけるのが嫌でもあった。
しかし、できるだけ早いうちに被災地に自分の足で立たなければいけないという思いも強かった。
被災の状況についてはおびただしいほどの報道があって十分すぎるのだが、それよりも何よりも被災地に立って自分がどう感じるのか、何を思うのか、そのことこそが大事なのだと考えていた。
当地には、盛岡からレンタカーでやってきた。盛岡から約100キロ、1時間30分の道のり。
初めは旧田老町(現宮古市)を訪れた。ここを初めに訪れたについては自分なりの理由がある。
ここは高校時代旅行で立ち寄ったことがあり、その際、まるで要塞かと思われる高い防潮堤が街を取り囲んでいることに感心をしていたのだった。
高さ10メートル、延長2.4キロもの防潮堤が二重に築かれているのだが、それは度重なる津波の被害から街を守ろうと45年の歳月をかけてつくられたもので、田老の街の人たちの自慢だった。
その田老の街が再び津波にやられたという。いったいどういうことなのか。
被災地に立って呆然とした。まるで焦土と化していた。根こそぎ街が飲み込まれてしまったようだ。鉄骨造の建物数軒がわずかに残っているだけだ。それも残っているのは柱だけで、建物としての形をわずかにとどめているだけだ。
被災から2カ月が経ってだいぶ片付けられたようだが、そこここにつぶされた自動車が積み上げられているし、漁船が街の真ん中に横たわっている。高さ10メートルもの防潮堤をどうやって乗り越えてきたというのだろう。
津波のエネルギーとは恐ろしいもので、まず第1波で湾内の防波堤をまるで発泡スチロールの箱でもころがしたみたいにずたずたに破っているし、続いて高さ10メートルの防潮堤すら所々決壊している有様だ。
街は壊滅した。残ったのは惨状である。
がれきの山の中にたたずんでいる地元の人たちにお話を伺った。
「地震は強かったし長かった。縦に揺れたし横にも揺れたし不気味だった。津波が来ると直感はしたが、まさかあの防潮堤を越してくるとは思わなかった。だから油断した。逃げ遅れたが、奇跡的に命だけは助かった。近所の人たちは全員亡くなった。」
「悔しい。この先どうしたらいいのか。家はなくなったが、幸い家族は高台に避難して無事だった。やっぱりまたここに家を建てて住むことになるだろう。また津波は襲ってくるだろうがここがいい。」
「台風の波は白いしぶきを上げて押し寄せてくるが、津波は海の底から巻き上げるように襲ってきた。初めて津波を目の当たりにしたが黒い波で怖かった。」
実は、阪神大震災の折には震災直後から被災地神戸に入って取材していた。仕事なのだがあまりの悲惨さにカメラを向けるのがはばかられるようだった。
今回もカメラを手にうろうろすることには躊躇もあったが、これも仕事だしやむを得ない。それにやはり地震から2カ月が経ったということなのだろう、お話を伺った人たちの情緒は随分と安定してきているように思われた。
それでも、「頑張ってください」とはついに言えなかった。
結局、この現場に立っては頑張ってくださいと安直に言えないというのが被災地で感じた率直なことだったし、被災された方々の悔しさが伝わってきて言葉が続かなかった。そしてその上でこの大震災を前にして自分は何ができるのだろうかと考えたのだった。
(本文より)